錯乱 ときめきと やすらぎをつなぐ
島に正義感を持って乗り込んだものの…
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塩を作っている島では、知的障害者をだまくらかして働かせているらしい。
そんな情報を得た記者とカメラマン(こっちは渋々)が島に乗り込むも、
小さな島では、絶対権力者がいっちゃん偉いんです!の法則の前で苦戦。
記者たちは真相に近づいていくのだけれど…。
塩田の島で大量殺人事件が発生!
取材カメラマンを含む4人が惨殺され、知的障害のある作業員が行方不明。
犯人とみられる親子は姿をくらましています。
生き残った女性記者は意識不明の重体で真相は藪の中…。
時間は少し前に戻ります。
正義感あふれる報道記者のイ・ヘリは、嫌がってる後輩のカメラマン・ソクフン(新婚)を連れて島へ取材に乗り込ミンゴ。
その島では、知的障害者を奴隷のように働かせているっちゅうやおまへんか。
「塩作りの取材に来ました-」
島の人達は気さくに取材に応じてくれ、民宿すら無いため、知り合ったおばあさんが泊めてくれることに。
「ここでは他人のことに首を突っ込んでは、いけないんよ」おばあさんに注意されてても、突撃取材は続行よ!
島のボスの家に行くと、取材拒否されたー。
島の人々に「チョ・ウンテク」なる人物のことを訊きますが、途端に態度が変わります。
ヘリたちがこの島に来たのも、チョ・ウンテクがこの島で奴隷扱いされてるという情報を得てやってきたんで…。
島の人から協力を得られないなら、働いてる人から聞けばいい。
夜、一人の労働者がヘリたちのところにやってきました。
「7年ここにいる」
「賃金は振込されてる」
「銀行がないから、確認はできないけどー」
それアカンやつやん!!!
さぁ!今日もインタビューよ!
労働者に聞こうとすると社長・ホの息子(バカっぽい)が「取材?ハァ?帰れボケ」とか言うじゃん?
ヘリがこっそり忍び込んで様子をうかがうと、労働者の住環境は決して良いものではありませんでした。
ヘリは、労働者の「チョ・ウンテク」「イ・サンホ」の書類をゲット(盗んだとも言う)。
筆跡が全部同じだし、記帳された住民番号やらをヘリは知り合いの刑事(韓国デキる警察)に送りはる。
その日の夜、労働者がヘリの入浴を覗きに来はったん。
彼はサンホ。
「帰らないと、社長に殴られる」と言い続けるサンホから無理やり話を聞き出すヘリ。
やはりホ社長は最低人。
翌日警察(アカン警察)が来ますが、部屋はとてもきれいだし!
他の労働者も、もちろんサンホも、何も言うてへんし…と埒が明かない!
ヘリの友人の警察官から連絡が来ました。
イ・サンホは、行方不明になり捜索願がでているそうで。
何でもキム・ミョンチョルと言う人物と最後に会ってから
行方がわからなくなってるんやて。
島の雰囲気も大変悪くなり、ヘリたちは完全に「要らん子」扱い。
社長たちからは暴行を受け、さしものヘリも明日、島から出ていくことに決めたのですが…。
ここでPOVで進んできた画面が一旦終わります。
カメラマンを含む4人が塩田で死体で発見されました。
記者のカメラは紛失しています。
生存者ヘリは意識不明。
事件から20日経って取材カメラが発見。
日にちが流れ、今度は犯人と思われていた父親と息子が発見されました。
父親の遺体は損壊されています。
ネットでは、ヘリが真犯人ではないかと言う噂まで飛び交うように。
意識が戻ったヘリに、事件の関係者の写真を見せますが、それだけで錯乱状態。
ヘリの記憶が巻き戻っていきます。
ヘリは知人の刑事からある情報を得ていました。
その内容は。
「イ・サンホが行方不明になった15年ほど前、安山(アンサン)では連続殺人事件が発生してたん。
その事件の容疑者がキム・ミョンチョル。
キムはイ・サンホと一緒にいる可能性が…」
そう、あのサンホこそキム・ミョンチョルだったのです。
キム・ミョンチョルは、サンホと入れ替わっていた…(殺して)。
ミョンチョルはサンホとして、知的障害者のふりをしてまで潜伏。
なのに余計なことを探ってきた記者たちのせいで、サンホとミョンチョルが別人だとわかるのも時間の問題。
サンホは既にこの世にはいないのですから。
ホ社長は、「サンホを殺してしまおう」と思ってましたが、
あんな若造や大した胆力もないホ親子が、ミョンチョルに叶うわけがないやんか。
その後ミョンチョルは姿をくらまし行方不明。
ヘリは亡くなったカメラマンのお墓参りが出来るくらいには回復しました。
韓国アカン警察は、
「事件の犯人はホ社長親子、仲間割れの末殺し合いをしたんやで、一件落着」
と結論づけたのでした。
アカンの名声が広まる。
おしまい
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知的障害者を守ろうとする社会派の物語かと思ったら。
サイコパスの物語でしたーーー!
…って、この映画「新安塩田奴隷事件」にインスパイアされたとかで。
もちろん、後半のサイコパス殺人事件はフィクションですけどね。
実際に知的障害のある人を賃金も払わず働かせてたのは事実だそうな。
こんなん随分前の事件やと思いますやん。
なんと2014年に発覚した事件なんですって!奥様。
知的障害者をだまくらかしてタダ同然で働かせる。
劣悪な環境下で。
島の人達も薄々判っていながら、「あっしには関わりのねぇことでござんす」かよ!
コノ国コワイ。
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何が怖いって。
気の弱い、搾取されるばかりの被害者であるサンホが、
仮面を外した途端にシャキッとして、
素晴らしいKILL無双を見せてくれはるところでしょうか。
それまで、サンホさん、お気の毒…と思ってた視聴者は、どうしたらええんや?
冒頭で、殺人事件があったことは映画を観てる人にも伝えられます。
だけど社会派の映画だと思うやん?
それがどんどん…気持ちの悪さ、座りの悪さを感じてきて。
ミョンチョルが「サンホ」と言う偽りの仮面を脱いでからは、ホラー。
社会派だと思って観た人には、期待はずれ。
こういう展開を予想しなくて、うわーと喜んだ人には面白い出来上がり。
あなたの評価はどちらでしょう?
マダムは後者です。
時間は韓国映画にしては短めです。
ただ内容の濃さは相変わらず。
善意を悪意で返すことに何の躊躇いもない…。
こんなやつ側にいたらマジでイヤーン、ポチ
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たいへんご無沙汰しています。
最後にこのブログを更新したのが、2014年の春でしたので、もう9か月くらいになってしまいました。
今まで書けなかったのですが、残念なことを書かなければなりません。
あまりに辛いことだったので、今まで書くことが出来ませんでした。
夫と姑に、子どもを奪われました。
もう、1年半、逢わせてもらっていません。(2015年3月現在)
私の人生は、夫と姑など婚家一族と、家庭裁判所の血も涙もない不当判決に、めちゃくちゃにされました。
せっかくうつ病を必死に回復させ、夫には文字通り「上げ膳据え膳」生活をさせるまでになった2011年の初頭、ある日突然、夫と姑の共謀で一人息子を奪われました。
夫が「こいつを公園で遊ばせてくるから」と私を騙し、そのままいきなり自分の実家に連れ去りました。
夫と姑は
「あんたが実家に帰るか、とにかくそこから出て行かない限り、この子は戻さないから」
と言いました。
夫は翌春から地元に転職だと言って、そのまま3人で住んでいたマンションは引き払うことに。
既に、姑と打ち合わせ済み、全て計画的な行動だったのです。
もう個人的に話し合いは無理と観念し、実家に戻り、両親に全て打ち明け協力してもらうよう頼み、司法に頼ることにしました。
その直後、東日本大震災が起きました。
大震災のときのエピソードは、以前、日記に書いたとおりです。
裁判には、それまで長年続けてきたカウンセリングの記録、病院の記録、主治医、カウンセラーの意見書、警察や女性相談センター、民間支援機関等々、相談した記録などは全て裁判所に提出しました。
主治医の先生方は、これは明らかなDVであるとして、意見書を書いてくれました。
夫は裁判に際し、「妻は精神障害で危険な状態だった」と連れ去りを正当化しようとし、「証拠」として「妻が錯乱してナイフで自分を傷つけ、その血がカーテンに付着した」とする写真を早々と提出していました。
完全な捏造でした。
提出から1年以上たち、裁判も最終を迎え、本人尋問となりました。
夫側の弁護士は鬼の首を取ったかのような勢いで、
「これは何なんですか!!」
と私に「証拠写真」を突き付けました。
私は、
「わかりません。何ですか?」
と冷静に返答しました。
「あなたが精神錯乱状態で暴れていた証拠でしょう!!」
と弁護士が言うので、
「私はそのような状態ではありませんでした。主治医の診療記録と意見書もあります。その写真はでっち上げです。血がついている?では画像を分析して証明してください。これは合成です。」
と言いました。
弁護士はひるみました。
すると夫が、
「いやそれは、すいません間違いです。。。プリントアウトしたときにプリンタの調子が悪く。。。」
としどろもどろの口調で言いました。
夫側弁護士は
「ああ、そうですか」
とバツが悪そうにそのまま席に戻りました。
そんな調子で、夫側が嘘の証拠を数点提出していることは本人尋問の際に明らかになりました。
尋問になるまで、2年ちかく、裁判所に対してウソをつき続けていたことになります。
でも、DVは認定されませんでした。
認定するだけの客観的証拠がない、という判断でした。
そして、
「子どもは現状相手方で問題なく養育されており・・・」
と、裁判にかかった期間がそっくり夫側の養育実績となり、それだけの理由で親権者は夫に決まりました。
私は、一方的にやられ損という形になりました。
裁判をしたがゆえに、夫側に養育の実績を与えてしまった形になりました。
支援者や先生方には、これほど第三者機関の記録がきちんと揃っているのはなかなかないんだ、よく頑張ったねと励まされて闘い続けました。
その記録も、
「本人の主張に基く記録であり、客観性に欠ける」
と却下でした。
DVの相談に、加害者を連れて行けというのでしょうか?
警察の保護のもと、息子を連れてシェルターに避難したこともありました。
それも、加害者である夫の記録もないと、意味をなさないというのでしょうか?
意味がわかりません。
強姦を訴える被害者に対し、「自分は同意していない」と訴えても「証拠がない」とよく言われるのと同じです。
強姦されるところを、一部始終をビデオや音声に記録して、ほら、私は同意など一度もしていません、と証明しろ、というのでしょうか?
そうでなければ客観性がないと、全て却下する、というのでしょうか?
高裁控訴など3か月程度で、一回目「これから審議開始します」、二回目「提出物は以上で間違いないですね、ではこれをもって結審します」、で終わりでした。
そして控訴判決文には、一審支持の内容に加え、
「原告(私です)の実家は児の養育に非協力的であり(二人とも未だ現役で働いていたので、年金暮らしの姑のように子どもの面倒をみれる状態ではなかった)、そのような家庭で今後児を養育することに対して、現状の父親側家庭での養育環境と状況を考えたとき、あえて環境を移すメリットはない」
といった文章も付け加えられていました。
子どもの母親は、祖父母ではなく私です。
裁判で訴えているのは、私です。
私には、実家の親の人生を、選ぶことは出来ません。
専業主婦だったり、年金暮らしに入って時間に余裕のある親がいなければ、子どもを母親から引き離してOKな理由になるの
しょうか?
母親自体が、重病だったり育児が困難な状態で、やむなく、というのなら百歩譲って理解出来ないでもありません。
でも、ここで引き合いに出されたのは、当事者同士ではなく「実家の親(特に母親)」でした。
いつでも連れてらっしゃい!24時間365日、バッチリ面倒みるわよ!!
そういう実家をもっていない人間は、子どもの養育には不適応だと、裁判所は判断するのですね。
専業主婦で産後に病気を併発した私は、無職でした。
復職したくても、出来ない状況でした。
それは私の責任でもワガママでもありません。
しかし夫や姑は
「うつなんて、ただの怠け病」「親になった覚悟が足りない」「病気になったのは自己責任」
と言い放ち、治療費も、そのうち生活費まで出さなくなりました。
「専業主婦になって家事育児をこなすって約束だったのに、話が違う。子どもを保育園に預けることで金がかかっている。お前の病気のせいなんだから自分のことは自分で何とかしろ。マンションの家賃や子どものお金は俺がなんとかする」
「追い出されずに、その家にタダで住んで食事が出来るだけでも有難いと思いなさい。息子もとんだ貧乏くじを引いたもんだわ」
と言われました。
だから私は、結婚後ずっと、自分の貯蓄を崩し実家から援助も受け、病気の治療と、日々の生活に必要なバス代等の交通費やお昼食にかかるお金、生理用品やコンタクトレンズの費用などの必要消耗品、その他を必死で賄ってきました。
治療にも、付き添いなど夢のまた夢でした。
病院も、治療法も、うつ病について、徹底的に調べました。
いつも、一人でした。
「私さえ元気になれば、すべて上手くいくのだ」
と、それだけを考えて、子どものために必死で血を吐く想いで過ごした4年間でした。
病気になったのは私の責任ではありません。
夫が子どもを連れて勝手に自分の実家に帰り、親子三人で暮らしていたマンションを棄てたのです。
私に、どうやってそこで一人で生活しながら裁判をしろと言うのでしょう?
「あんたが実家に帰るなどしてとにかくそこから出て行かない限り、この子は戻さない」
と言ったのは夫と姑です。
私が実家に帰って裁判を起こしたのは他に選択肢がなかったからです。
それすらも、全て「自己責任」なのでしょうか?
あまりの裁判所の「マニュアル」「お役所」判決に憤りがおさまらず、最高裁へ上告の申請を出しました。
弁護士は最高裁経験がなく、降りると言ってきました。
なので、申請は自分でやりました。
そして、上告趣意書という「上告する理由」を法的にしたためた書面が必要で、それは弁護士にしっかり書いてもらわないと、上告すら取り上げられない、ということなので、地元や近隣は言うに及ばず東京、大阪、神戸、名古屋、紹介された弁護士には片っ端から面談に行きました。
しかし、みんな
「まず無理」「判決をひっくり返すのは不可能」「日本の民法なんて、裁判所なんて、所詮そんなもんです」
と言うだけで、引き受けてくださる方が見つかりませんでした。
何より辛かったのは、
「あー子どもを相手に取られてたら、もうムリムリ」
「どうしてみすみす子どもを連れてかれるようなことになったの。甘いんですよ」
等々の台詞を、DVやレイプなど”女性の人権に強い”と紹介された弁護士や著名なカウンセラーに言われたことでした。
「子どもを取られるような母親がマヌケなの!考えが甘いのよ!」
と電話で吐き捨てられ、泣き崩れて過呼吸発作をおこし救急搬送されたこともありました。
マスコミに勤めている友人が地元の女性センターの所長と懇意にしており、なにかと協力してくれていて、そのつてで紹介してくれた、東京の弁護士の先生でした。
最後の頼みの綱、というか、本当に藁をもつかむ想いで電話をしたのです。
そして今度は、そういういきさつを他の方に話しても、今私が子どもを奪われたショックでうつ状態なもので
「被害妄想なんじゃじゃないの?」「いくらなんでも、いまどき、そんな酷い話・・・」
みたいに受け取られてしまい、なかなか信じてもらえないのです。
DV防止法は、レイプなどもそうかもしれませんが、『(弱い立場の)女性を守る』という本来の意味・役割は、法の世界では死んでいるのだなあと思いました。
上記の弁護士さん方は
「法の前では男女平等だから母親であっても子どもを先に取られたら無理」
と言っていました。
そうして、上告を一緒に闘ってくださる弁護士を探している間に私は過労で倒れ、救急搬送されて入院しました。
入院中に、上告趣意書の提出期限を迎えてしまい、控訴審判決が確定してしまいました。
子どもには、結審後1年半たちますが、一度も会えていません。
「せめて会わせてください」と、元夫(離婚が成立してしまったので、元です)に吐き気と震えをおさえながら連絡しました。
しかし元夫からは
「養育費はどう考えてるんですか」
「権利を主張するのも結構ですが、義務も果たしていただかないと」
という返信だけ。
鳥肌が立ちました。
冷血という言葉しか浮かびません。
私はお産の際、難産で帝王切開になりました。
2リットルの出血多量で、麻酔から目覚めなければ死ぬところだったと、退院すrときに麻酔を担当した医師に言われました。
(その先生に、肩をたたかれて
「○○さーん、聞こえる?○○さーん、産まれましたよー、聞こえるー??」
と何度も何度も呼ばれていたのを憶えています。その声で、意識が戻りました。
ご自分が担当した患者さんを、退院まで毎朝必ず様子を見て回るという先生で、私も退院するまで毎朝様子を見に寄っていただきました。
思った以
にしんどい出産になってしまったこともあって、少しナーバスになっていた私を「立派なお産でしたよ。よく頑張ったね」と笑って励ましてくださって、本当に有り難かった・・・)
命がけで子どもを産んだんです。
自分の子どもを、命がけで産んだ妻に対して、女性に対して、どうしたらこのような仕打ちが出来るんでしょうか。
虐げられ、病気とも闘い、挙げ句に子どもを奪われ、人生めちゃくちゃになりました。
自分がそう仕向けた女性に対から、更に今度はお金を奪おうというのでしょうか。
こんな人間と、私は結婚していたのか。
あんなにガマンして、家族のためにと、必死に病気と闘っていたのか。
「やり直そう」という言葉を信じて、子どものために家庭を守るために、ガマンしたのか。
どんなに被害者が努力しても、必死に耐えて闘っても、裁判所はそれを認めないのですね。
どんなに現場の警察や医師や支援機関が頑張っても、裁判所はそれを認めないで、無に帰すのですね。
そして、弁護士も支援機関も、
「判決が出てしまっていては、もうお手上げです」「お気の毒」「でもいつか、子どもさんはあなたのことを理解して帰ってきますよ・・・」
で、お終いなのですね。
「こんな理不尽なケースがあった」で、終わりなのですね。
私にも人生があるのです。
私は生きているのです。
あなたたちは「こんなケースがあったよ」で終わりでしょうが、私はそれによってめちゃくちゃになったまま、今も苦しみもがいているのです。
何故ですか。
何故こんなことになるのですか。
女性は、子どもを産んだら、身体を壊して使いものにならなくなったら、用ナシで棄ててもいい存在なのですか。
母親は、一度うつ病にかかったら、回復させようが健常者になろうが、それだけで母親失格なのですか。
一度うつ病になった母親は、子どもを一方的に取り上げられても、この国では司法も行政も警察も民間も、誰も助けてはくれないのですか。
こんな想いをしなければならないなら、あんなに苦しんでいたときに、自殺未遂をしたときに、あの男に「俺に関係のないところで死んでくれ」と命じられたそのときに、そのまま死んでいればよかった。
そう思って後悔しています。
いま自分がなぜ生きているのか、なぜまだ死んでいないのか、分かりません。
※ごめんなさい、皆さまに、お願いがあります。
励ましてくださるお気持ちは有難く、感謝しています、
ですが、どうかコメント等で「お母さんはあなた一人だ」とか「いつか息子さんのほうからお母さんを求めてくる」とか、そういうことは、書かないでください。
ずっとずっと、どこへ行ってもどこへ訴えても、それしか言われないんです。
そう言うしかないことは、他に言葉がないことは、よくわかるんです。
でも、辛いんです。苦しいんです。それしかないということが。
あなたは、自分が命がけで産んだ子を、奪われたことがありますか。
この子のためにと、必死で病気を治して、夫や婚家の理不尽な仕打ちも許そうと覚悟した、その子を、一方的に取り上げられたことがありますか。
あなたは、そういうことが出来ますか?
自分の奥さんに対して。
自分の娘に対して。
「出来る」と言う言葉を、私は聞いたことがありません。
でも、私は実際に、そうされてしまったんです。
そして、そういう卑劣な行いをされても、訴えても無視する司法に対して、社会に対して、どんなに声をあげて訴えても誰もどうにもできないのだそうです。
何故ですか?
どんなに声をあげても訴えてもどうにもならないのだ、という苦しみが、どんなものか、分かりますか。
あなたは、子どもが自分の意志で動けるようになるまで。。。と言う。
残念だけど日本の民法なんてそんなもんです、と言う。
だから子どもが大きくなるまで待て、子どもから会いにきてくれるまで待てと言う。
でも、私の踏みにじられた誇りは、どうなるのですか?
踏みにじられたまま、あとこの2倍、3倍、いったい何倍の年月を、生きて行けというのですか?
私にどうやって生きていけというのですか?
希望も信じる心も何もかも奪っておいて、何を支えに生きていけと言うのですか?
夫を信じた私の自己責任ですか?
家庭を守ろうとした私の自己責任ですか?
司法を信じた私の自己責任ですか?
人の支援を、女性の人権をうたう人々を信じた私の自己責任ですか?
あと何年、この地獄の苦しみを耐えなければならないのですか?
あなたが代わりにその苦しみを受けてくれるのですか?
法律って何なんですか?
支援って何なんですか?
人権って何なんですか?
弁護士って、裁判所って何なんですか?